熊本・大分のためにいまできること

支援は継続してこそ絆になる

2017.07.10

私は全国で防災セミナーや研修会の講師を務めております。この仕事のお蔭で、全国津々浦々その地域の様々な関係者の方とお会いします。そのご縁のある地域で自然災害が発生すれば、皆様の安否が気になり被災地の状況から自分にできることを探り、すぐに現地に入ります。昨年発生した熊本地震では、その前年に熊本県から防災講演会の依頼を賜り、県内を回り講演する中で県の職員の皆様と懇親を深めました。その矢先に熊本地震が起きましたから、すぐに熊本に入ることを決断しました。私は4月16日の本震から3日後の19日に熊本県に入り、県の職員の方からの連絡で益城町に入り、益城町の町長から防災アドバイザーを拝命して町役場の職員の皆様と一緒に災害対応に従事してきました。

地震直後は2度も大きな揺れを体験したことで、揺れに対する精神的不安が大きく、建物に入れない方が軒下避難や車中泊をされていました。一方で、指定避難所の建物が損壊したために、受け入れられる避難所が過密状態になりました。こうした状況を受けて主に混乱する避難所の問題を解消することを目的に、内閣府と一緒に益城町の避難所対策チームを支援する活動をしました。

益城町では日本で初めて行政が被災地でトレーラーハウスを福祉避難所として活用しました。これは私から町長に進言したのですが、最初は仮設住宅として利活用することを提案したものの、仮設住宅を必要とする世帯に対して直ちに設置できる台数が不足していたために、最終的には避難所に感染者が発生した場合の保護室や、福祉避難所として活用することになりました。

アメリカに比べて日本では災害時にトレーラーハウスが活用されることはほとんどありませんでした。しかし、トレーラーハウスを災害時に活用するメリットを以前から感じていた私は、東日本大震災のときから積極的に利用することを推し進めてきました。その結果、女川町では中村雅俊さんやユニセフの支援により小学校の敷地内に子供の憩いの空間ができたり、宿を失った方々が力を合わせてトレーラーハウスを活用した宿泊施設「エルファロ」を開設したり、陸前高田市では仮設住宅の集会場として、住田町ではNPO団体のボランティア活動の拠点など、多くの場所で活躍しました。

熊本地震では、車中泊や軒下避難の方が多かったことで、ストレスや劣悪な環境における疾病など、被災者の健康が問題視されていました。しかし、行政では医療や福祉関係者の方の巡回をお願いする以外に、どのような支援をすればよいのかと頭を悩ませていました。

そこで、車中泊や軒下避難者の実態や支援のニーズを把握するために日本財団と共同で調査をしました。真夏の炎天下で益城町民のお力を借りて汗をかきながら1軒1軒、1台1台を訪ねるローラー作戦を実施しましたが、日中は外出されている方が多いために、被災者の方が活動を始める前の早朝から、帰宅される夜10時頃まで、さらに休日を含めて調査するという大変な活動でした。あまりの暑さと過酷さに調査員が倒れないかと、健康面を気遣いながらも不安は尽きませんでした。益城町民の方が調査員になってくださったお陰で土地勘もあり、住民の方もよそ者ではなく町民の方の訪問に心を開いて下さり、現状をよく反映した貴重なデータを成果として出すことができました。この調査結果を基に、日本財団の助成制度を利用させていただき、大いなるお力添えのもと、彼らを支援する事業を立ち上げました。

 

それが、「益城ハウス」です。「被災者の方に1日でも手足を伸ばしてゆっくり休める空間を提供する」という目的のもと、被災者向け宿泊事業を7月27日から12月20日まで実施いたしました。

これは、被災者の方限定で3連泊まで無料でトレーラーハウスに泊まることができるサービスで、多くの被災者の方にご利用していただけました。この支援のヒントは、説明するまでもなく、女川町のエルファロでした。室内のイメージも、私が実際にエルファロに宿泊して快適だったことから、できるだけホテルに近い、心から心と体を癒せる空間にしようと決めたものです。

「益城ハウス」の室内

宿泊事業を実施している最中にも、町は大きく変わっていきました。仮設住宅の建設が終わり、倒壊した家屋の解体が急ピッチで進みました。10月末には最後の避難所である益城町総合体育館が閉所し、町は復興という新たな段階に入りました。

地震から1年を過ぎて、益城町における倒壊した家屋の解体はかなり進み、目標だった「発災後2年間で完了」を前倒しするようなペースで実施されています。また、益城町役場の仮設庁舎も建てられ、職員は広々とした新しい空間に移って本来の業務に取り組んでいます。熊本に行くたびに、町民や職員の表情が明るくなっていくのを感じています。

その一方、益城町の仮設住宅では住民の1人が孤独死で亡くなられました。ポストに郵便物が溜まっているのを近隣住民の方が不自然に思い、1週間後に発見されたそうです。 また、自宅に引きこもりがちになる方も出てきていて、集会場でイベントを開催しても参加されない方もいます。孤独死を防ぐために支援者も住民も知恵を絞り、見回りの頻度を増やしたり、毎朝玄関に黄色い旗を出して安否を伝えるルールを決めたり、隣近所の様子をより一層意識するなどあらゆる対策を講じています。最近では、グリーンカーテンを軒下に設置して毎日の水やりで外に出て交流を深めるなど新たな取り組みでお互いを支えあっています。

発災直後から考えると、改めて日本や国民の復興力の強さを感じます。少しずつでも確実に前に向かって進んでいく復興の姿は希望です。けれど、それは外部の人間から見て思うことであって、現在の状況をヒアリングすると様々な課題があることがわかります。

街の復興とともに住民一人一人の生活再建が成し遂げられるまで震災は終わりません。

仮設住宅に移っただけで世間の関心は急速に低下しますが、住民の皆様にとって今後の生活に対する不安は常にあって、時間を経て出てくる課題への支援を必要としています。

例えば、仮設住宅に暮らす子供たちが置かれている現状では、狭い空間に学習机を置けないこともあり、集中して勉強することもできず学習意欲が低下していると言われています。また、学校と仮設住宅が離れていることもあり、放課後に学童クラブに通えず、居場所がないことで時間を持て余したり、1年経って表に出したい感情があっても、保護者は生活再建のために必死で、毎日忙しくて話を聞いてもらえなかったりなど、思春期の子供の気持ちが不安定になっています。

これから来る夏休みや冬休みの長期の休暇には、こうした子供たちと向き合ってくださる人が必要ですし、先ほどのグリーンカーテンをするにも軒下に吊るすのに脚立が必要で、それを使えない高齢者のために設置してくださる方がいてくださるからこそ、居住者の水やりの楽しみは成り立っています。

熊本地震だけでなく、日本では今もなお土砂災害や水害の自然災害によって生活が一変し、つらい思いをして暮らしている多くの方々がいます。「メディアに取り上げられないなら困っていない」と考えることなく、隣町、近隣の県で被災した地域があれば、今はどうしているのかしら?と気にかけましょう。

残念ながら、今後の地震災害の発生予測を見ても、異常気象による雨の降り方を見ても、災害は減るどころか、巨大化・頻発化する恐れがあります。いつ自分が被災者になるかわからないという意識で暮らすことが重要ですし、被災された方の心に寄り添えば、そのご苦労からおのずと災害を他人事としてではなく、自分事として捉える視点を持つことができるはずです。支援に行ったつもりが励まされ、多くの学びとなったという体験をされる方が多いように、支援をすることで自身の「生きる力」を磨いているのです。まさに、「情けは人のためならず」です。災害時の対応では、「知っていることで守られる命と知らぬことで奪われてしまう命がある」と講演で訴えていますが、支援のなかで自然災害を経験された方の話を聴くことで、その紙一重が自分を守る方向に翻るかもしれません。

最後に、可能な限り支援でご縁があった方とは末永く交流をしていただきたいと思います。継続して支援やお付き合いをすることで、人と人は強く結ばれ、やがて絆になっていきます。その絆が人生の支えになることもあります。私は今回の熊本で多くの方と出会い、ご縁をいただきました。かつて東日本大震災の被災地もそうであったように、熊本も故郷のように感じます。行けば笑顔で迎えてくれる人がいてくれるというのは、言葉にならない嬉しさで心が満たされます。そんな気持ちを多くの方に感じていただけたらいいなぁと思います。今からでも、いつからでも、できる活動があります。

その1歩をぜひ、踏み出してください。

【国崎信江プロフィール】
横浜市生まれ。危機管理アドバイザー。危機管理教育研究所代表。女性として、生活者の視点で防災・防犯・事故防止対策を提唱している。文部科学省地震調査研究推進本部政策委員、防災科学技術委員などを務める。また、NPO国境なき技師団の一員として、海外での防災教育活動なども行なっている。現在は講演活動を中心にテレビや新聞など各メディアでも情報提供を行っている。おもな著書に『決定版!巨大地震から子どもを守る50の方法』(ブロンズ新社)『サバイバルブック―大地震発生その時どうする? 』(日本経済新聞出版社)『マンションみんなの地震防災BOOK』(つなぐネットコミュニケーションス゛)などがある。