取材班による現地レポート

迅速な意思決定と、国・県との連携が奏功~東広島市長が振り返る「あの日」

2019.08.01

4つの大学があり、約2万人の学生が住む「学園都市」、東広島市。日本酒の銘醸地としても全国的にその名が知られている。山陽自動車道のインターチェンジは4つ、新幹線停車駅もあるなど、交通網が整備されているのも特徴だ。

しかし、平成30年7月豪雨は、人的被害や土砂災害、交通の寸断をもたらし、市の発展を支える中小企業の経営や、勤労者の生活に大きな影響を与えた。発災直後から陣頭指揮を執ったのは髙垣廣徳市長。市長に就任してわずか6カ月での出来事だった。

 

──災害直後の市内の様子を教えてください。

発災後3日くらいは、陣頭指揮を執る毎日でした。最優先で被災状況の把握に務めましたが、情報が集まってこない地域がありました。市南部の安芸津町です。交通経路が不通という状況は伝わってきましたが、災害の全容が見えなかったのです。発災直後の7月7日の時点で自衛隊が安芸津町に支援に入ろうとしたのですが車が通行できず、矢野安浦線の途中で車から降り、歩きながら現地に入ったと聞きました。

後から分かったことですが、隣市の竹原市からも呉市からも安芸津町へ行くことができない。東広島市中心部から安芸津町へ向かう主要な道路である安芸津・下三永線、矢野・安浦線も通行不能で、一時孤立という状態になり、大変心配しました。

他にも、人的被害のあった地域へは全て足を運びました。まずは河内町へ。5名(災害関連死1名を含む)の犠牲者が出た地域であり、一部孤立集落もあったので、どういった支援が必要か確かめる目的もありました。

災害の全容を把握すると、いち早く議会を開くことを決めました。まずは、復旧に係る予算編成をせねばなりません。お盆前には臨時議会を招集しようと決め、8月8日に開催することができました。市議会議員の皆さんに情報提供していただき、被害額をもとにした予算審議を行いました。

──就任半年での陣頭指揮。髙垣市長の広島県庁時代のキャリアが存分に発揮されたと聞きます。

市内では、斜面が約2700カ所崩壊、実に東京ドーム2杯分を超えるくらいの土砂が流出しているということが分かりました。宅地や事業地内へ流れ込んだ土砂をどう処理していくかが、次なる大きな問題となってきました。

発災直後、土砂除去に関しては、国の支援制度が明確になっていませんでした。ボランティアの手を借りたり、被災者自ら土砂撤去したりしましょうというのが基本でした。しかし、市内の被害を鑑みると「とてもじゃないが解決できない」と思い、行政からの支援をいち早く決めました。

次に、国からの支援を、国会議員の先生たちに要請しました。まずは土砂対応、そして中小企業の支援です。わが市では、山陽線が上下とも運行できない状況におかれ、中小企業の業務に対する影響は大きいものがありました。国の「生業の再建支援」の一環で、中小小規模事業者の事業継続に向けて、復旧や復興支援策を講じる「グループ補助金」創設の働きかけを行いました。

 

私は県庁でも長年、建設畑を歩んできました。広島県東京事務所にも勤務経験があり、災害も経験しましたので、「災害時にはどういう対応をすべきか」ということは、ある程度頭の中にありました。「次はこうではないか」と、先が読めるのは、その経験がなせることでしょうか。「新しい制度作りのために、どういった動きをすればいいのか、どういう制度にするのが最善策なのか、予算確保に向けてどう動いたらよいのか」ということも、よく存じています。これくらい広範囲の大きな災害となると、いろんな国会議員の先生方が党派を超えて尽力してくださいます。現在抱える課題を現地入りされた県選出の先生方に要望としてお伝えし、それが内閣に伝わって、支援が制度化されていきました。

毎年、本市の主要事業として行っている東京での「要望会」には、急きょ災害に関する項目も加えて要望書を提出しました。7月末のことでした。

 

──迅速な復旧を下支えしたものは何でしょうか。

まず、国の組織的な支援体制が作られていたことが挙げられます。大規模自然災害への備えとして創設されたテックフォース(緊急災害対策派遣隊)が、我が市の被災状況の調査などを速やかに行ってくれました。また、大規模災害発生時に、被災自治体と支援する都道府県・政令指定都市をペアにする「対口(たいこう)支援(カウンターパート)」方式が昨年4月に制度化されていた関係で、愛知県から危機管理の専門部隊が入ってくれたのも大きかったです。

発災後「罹災証明」を発行するという業務が発生しますが、ピーク時には8名もの支援者が来て手助けしてくれました。おかげで、8月中に罹災証明の発行をほぼ終えることができました。これらは全て、国の支援制度のおかげと感謝しています。

また、姉妹提携を結んでいる北海道北広島市など、全国各地の自治体から派遣いただいた多くの職員の皆様が市役所に入って、罹災証明や災害査定、心のケアなどを手伝ってくださいました。わが市はこれだけ助けてもらったので、あってはならないことですが、またどこかで災害が起きたときには、「お互いさま」の気持ちで応援を派遣しようと思っています。

 

──東広島市の災害・復興に関して、どのような特徴が挙げられますか。 

河川や道路の被害だけでなく、農業被害も大きかったです。この復興は遅れ気味ですが、改めて測量や災害査定をし、復興に向けて努力をしているところです。

わが市は一時期、JRが寸断され在来線の利用ができず、商工業に影響が出ました。しかし、通勤通学の手段として、新幹線が使えたのは大きかったです。また、わが市の代表的イベントである酒まつりに向けて、JR側に何度も早期復旧の要請を重ねました。JRも全力で努力してくださり、酒まつりを前に広島方面の運行が再開したのは、本当に喜ばしいことでした。この年の酒まつりは、災害復旧・復興に向けて、市民が心を一つにした素晴らしいまつりとなったと思っています。

 

──災害から一年。現在の取り組みと、今後の課題について教えてください

災害から一年、被災者の心のケアも重要になってきています。県の指導のもと「地域支え合いセンター」を10月に発足させ、被災者の話を聞きながらサポートする取り組みを続けています。今後も、心の変化に寄り添っていきたいと思います。

災害復旧に関する業務の総括者として、今年4月に建設部の中に新たに「理事」というポストを設けました。災害復旧の専任者が、被災者・住民の声に耳を傾けながら、より迅速に対応していきます。

役所は、「非常時」を想定した体制になっていません。ですから、非常時にどうサポートしてもらうか、サポートするか、は、今後の重要課題であると考えます。いざというとき協力する仕組みをつくること、ルール作りが大事ではないでしょうか。今回の豪雨災害は、急きょ対口支援で乗り切ることができましたが、今後、同様の災害がどこで起きてもおかしくはないのですから。

被災地の復旧状況視察(6月)

「自助、共助が大切」ということが、今回の災害の教訓です。これだけの大規模災害では、市職員だけでは避難所運営すら満足にできないでしょう。そういうことを含めて「共助」が大切になってきます。自主防災会などを通じ、「声掛け避難」「みんなで逃げましょう」と、自ら命を守るための啓発を続けていってもらいたい。地域の防災力を高め、危険箇所や避難経路を確認し、防災マップを作成する、これらの活動を、市としてサポートしていきたいです。市全体の防災意識が高まっている今だからこそ、防災リーダーの育成にも取り組んでいきたいです。

 

いまできること取材班
取材・文 門田聖子(ぶるぼん企画室)
写真 堀行丈治(ぶるぼん企画室)

※西日本豪雨から1年を迎えた広島、愛媛、岡山の各自治体にインタビューを実施しました。後日、本記事を含む特集ページとして公開致します。

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