取材班による現地レポート

愛媛県今治市・島しょ部の現状〜まだ知らないこと、まだ忘れてはいけないこと〜

2018.09.28

報道されていない場所

愛媛県今治市、しまなみ海道沿いの島々も、今回の豪雨で深刻な被害を受けた。被害が局所的であったためだろうか、この地域の状況は地元でもあまり報道されることがないまま、2ヶ月以上が経過した。

災害発生当初、松山市に居住する私は、テレビなどのニュースで見聞きする大洲市や宇和島市の様子以外、県内の被害状況をほとんど知らずに過ごしていた。松山市や今治市でも被害があったことを知ったのは、1週間ほども経ってからだった。

7月後半、訪れた今治市の島しょ部・伯方島や大三島には、想像もしていなかった光景が広がっていた。

▲7月22日、伯方島伊方地区の様子(続く3枚も同じ)

一面の泥と、人の背丈ほどもある巨大な岩。民家に突き刺さる根がついたままの大木。大量のそれらが、家や電柱、ガードレールをなぎ倒し、道をふさぎ、あたりを覆っている。

目の前の現実と、これを知らずにいたことに、私は大きなショックを受けた。

2ヶ月を経た大三島

9月13日。再び大三島へ向かった。観光地としても名高い大山祇神社の周辺を始め、多くの部分は災害以前から変わった様子はない。道路もきれいで通行に何の支障もない。しかし島を一周していると、やはりところどころに被害の爪痕が見えた。

訪れた数日前にも激しい雨が降り、山からの水がまた勢いをつけて道路へ流れ出している場所もあった。

島の東側、井口(いのくち)地区で被害にあった鴉(からす)さんに、話を聞くことができた。

鴉さん宅の周辺の道路には、凄まじい土石流で無残に折れ曲がったガードレールや、なぎ倒された電柱が、この日もまだ撤去できずに残っていた。

家の周りは泥に覆い尽くされている。みかん畑だった場所も、今は泥と枯れ木の山だ。実をつけながら熟れることなく立ち枯れてしまった木もある。

山からの大量の土石流が、あたりを埋めた。上の写真の鴉さんの目の前の壁には、一段高いところに建つ建物にもかかわらず、頭上よりも上に、泥の跡が残る。どれほど激しい土石流だったのか。想像を絶する。

▲災害直後(7月12日)の家の状況。赤い屋根の建物が、前の写真と同じ建物だ。泥に深く埋まっている。

▲同じく7月12日、山側からの撮影。写真中央に小さく見える赤い屋根が、同じ建物。

鴉さんの家は、土石流の直撃を受けた。

役場からの避難指示に従って避難したあとだったので、幸い命は助かった。しかし、閉めていた雨戸を流木が突き破り、押し寄せた土砂が窓から家の中へ流れ込んだ。

▲災害直後の家の状況。迫ってきた土石流は2m近くの高さだ。

避難場所から自宅に戻った鴉さんは絶句した。そこへ近所の人たちが集まり、バケツリレーで家から土砂を掻き出してくれた。重機を持ち込んで作業をしてくれた人もいた。使っていないからと冷蔵庫を提供してくれた人もいて、その後ボランティアや工事の作業者へ冷たいものを出すこともできたそうだ。

▲現在再建中の家の同じ側面。

「すぐに駆けつけて、朝から晩まで片付けを手伝ってくれた近所の人たちには、感謝してもしきれません」と鴉さんは語る。「停電と断水が無かったのが救いです。だから、もっとひどかったところに比べれば、良かった方ですよ」とも。

人の力は大きい。労働力だけでなく、心の支えになってくれる。そして、自らも被害に遭ったのになお、他を思いやる姿に心を打たれた。

しかし近隣の施設なども含めて、被害状況は深刻だ。

「近所の様子もあまり見に行っていないんです。精神的なショックが、とにかく大きくて」。そう話す鴉さんの心痛は計り知れない。変わってしまった景色を見るのは辛い。
鴉さんの言葉に、受けた被害の重さを改めて感じながら、大三島を後にした。

今、思うこと

帰路、伯方島へも立ち寄った。

伯方島の有津地区も大きな被害があった場所だ。もともと空き家だった建物もあるとは聞くが、2か月経った今もほぼ手つかずというところも多い。おそらく、他にも日本のあちこちに、たとえ狭いエリアでも、大変な状況の場所がまだまだあるのだろう。

何かできることはあるだろうか。焦りにも似た気持ちに襲われる。

たとえ住む家が再建できたとしても、家具、家電、衣服、生活に必要なものを一から揃えなければならない。力仕事、金銭的な支援、体や心のケア。必要な支援の内容やタイミングは、人によっても異なるだろう。しかしいずれにしても、元の生活に戻るにはきっとまだ何年もかかる。

体を動かすことが何より苦手な友人が、週末のたびにボランティアとして現地に出向いている。何もできないと自らを恥じながら、折に触れて少しずつ募金を続けている知人もいる。訪れることができる観光地へ出向いたり、その地の商品を買ったりして経済支援の一助とする方法もあるだろう。

それぞれの人が、それぞれの立場で、できることをすれば良いと思う。そして何よりも、多くの人が、これからも忘れないでいることを願う。私にできることを続けていこうと、強く思う。

文章・撮影 矢野智子

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