取材班による現地レポート

人助けのプロがいたっていいじゃない?宇和島でクリエイティブな支援を続ける災害NGO結

2019.03.05

愛媛県宇和島市。
みかんの産地として知られるこの港町にも、平成30年7月豪雨による被害は及んだ。
土砂崩れや浸水により12名の尊い命が失われたほか、住宅やインフラも甚大な被害を受けた。

災害は自然の力によって引き起こされ、復興はいつも人の力で推し進められる。
しかし、宇和島は市内や近隣地域の人口減少・高齢化だけでなく、都市からの交通も至便でなく、復興のエンジンとなるボランティア人員の確保にも難儀した(している)。
そんな中、復興のプロフェッショナル集団が宇和島を拠点を構え、地道ながらも創造性溢れる復興支援を行っていると聞き、現地に足を運んだ。

生命力溢れる復興のプロ

団体の名は災害NGO結(ゆい)といい、宇和島市吉田町にある活動拠点「YOSHIDA BASE」を構えているという。
宇和島駅から車で20分ほど走ると、宇和島湾に反射した光に包まれる気持ちのいい場所でカーナビは案内を終えた。

「今日もいい天気ですねえ!やっぱり活動は気持ちのいい場所でやらないとね!」と明るく迎えてくれたのはNGO結の代表・前原土武さん、通称トムさんだ。

沖縄で生まれたトムさんは、美容師を経て、ニュージーランドでアウトドアのインストラクターとなり、滝壺から数分出られなくなったり、森で10日間暮らしたり、色々な経験をしてきたという。ワイルドな風貌と人懐っこさを併せ持つキャラクターにも、経歴を聞いて妙に納得した。

「自然のありがたみや迫力をたくさん感じて、2010年に日本に帰ってきたんですよ。そうしたら東日本大震災が起こって。当時は埼玉に住んでいたのですが、津波の映像を見たらいても立ってもいられなくなって、2週間分の食料を持って、東北へ向かいました。」

それまでボランティアはもちろん、災害現場に立ち入ったことすらなかったそうだが、トムさんはそこから2ヶ月宮城に滞在し、ボランティアセンターの立ち上げに尽力。気づけば400人ほどのボランティアをコーディネートするようになっていた。そこから一人の「復興のプロ」としての人生が始まったのだ。

東北で活動していた現場

復興は人の力の総量だ

「東日本大震災以降も災害が起こるたびに現地に足を運んで、初動から中長期に復興の支援をするようになりました。まるで遊牧民のように動き回って、もう20箇所くらいで活動したかなあ。」

平成30年7月豪雨が発災した2018年7月7日。
トムさんは大阪府茨木市で大阪北部地震の支援活動をしていた。
「この雨はやばいだろうなと感じてすぐに倉敷へ行き、ボランティアセンターの立ち上げをサポートに入りました。呉や宇和島なども一通り見て回りましたが、7月の3連休のタイミングまでにまず倉敷でボランティアの受け入れ体制をつくらないとパンクするだろうなと思い、まずは倉敷に支援に入りました。」

『来てくれた人を誰も帰さない』をスローガンに、一日2500人来ても大丈夫な体制の整備を支援したトムさんはその後宇和島入りする。

広島では大量の土砂撤去のため重機活動の体制をつくった

「これまでの経験から言っても、宇和島が一番やっかいだろうなと。テレビなどの情報でも倉敷や広島の方が目立っていたし、大都市からは距離があるし、松山からも意外と遠いですしね。復興は結局のところ人なんで、アクセスは大切なんですよ。
空港もある愛媛一の都市・松山市から見ると、宇和島市は被害の大きかった西予市、3000軒の浸水被害のあった大洲市のさらに奥にある日陰のような存在となっていたため、ボランティア人員の受け入れには大きなハードルがあった。

「こうなったら九州から人が来やすい仕組みづくりが必要だと思い、愛媛県に大分県別府からのフェリーのボランティア割引を提案しました。3年前の熊本地震の時には、愛媛から大分を支援する流れがあったので、今回はその逆をつくれればいいなと。」
多くの復興現場を経験してきているトムさんは、目の前の人や家を助けるプレイヤーとしての目と、町や地域を俯瞰するプロデューサーとしての目を併せ持っている。

復興はクリエイティブじゃなきゃねと、どこか楽しそうに真っ直ぐな眼差しで語る

支援する技術を支援する大切さ

「僕たちね、3月に宇和島を出ていこうと思ってるんです。」と少しの沈黙の後、トムさんは口にした。

「僕らみたいな外部支援団体っていわば薬のような存在なので、地域の人たちがいつまでも薬に頼っているようでは、自分の力で生きられなくなってしまうわけですよ。」と続ける。結の活動に加わる宇和島の人たちはいるが、この指とまれ!と新しい活動を始める人がなかなか出てこないというのがトムさんが感じている実情のようだ。

「いまは被災された宇和島の農家さんのみかんを買い取って、みかんジュースを作ってお問い合わせに応じて販売しています。これが無農薬でほったらかしてたから見た目はいまいちだし、サイズもバラバラなんですけど美味いんですよ!ほら、ね?うまいでしょ!支援って言ったって頭を使えばいろんな形があるし、出資先に制限されず、自らの良いと思ったことを行えることがプロだと思う。そのためには自己財源が必要ですからね。」

その名も「つながるみかんジュース」。とてもやさしい野性味のある濃厚な美味しさ

トムさんは復興の活動を北風と太陽に例える。ピューピュー厳しいこと言ってもだめで、相手が求めているものを提供する。被災地という非日常の中でも、社会の摂理は変わらない。

「まあ、とは言ってもねえ、先頭に立って何かするって簡単なことじゃないですしね。だからもっと、支援活動を支援する仕組みが必要なんですよ。助成金や寄付もとてもありがたいことですが、助成金申請書の書き方とか、被災家屋のニーズの汲み取り方とか、SNSでの情報発信の仕方とかを教えて。お金やモノではない支援団体への支援がもっとあったらいいですねえ。

被災住宅のヒアリングシート。具体的なニーズを把握できない限り、具体的な支援を実行することは難しい

人助けのプロフェッショナルがいたっていいじゃない

被災地から被災地へと移動し続ける災害NGO結。
宇和島の次の行き先を聞くと、未来を先回りする答えが帰ってきた。

「山梨から滋賀あたりに拠点をつくりたいなと考えているんですよ。南海トラフなどの巨大災害は必ず起こります。その時にすぐに駆けつけられる場所にいたい。だいたい1000km以内で、道路網が充実している場所になりますね。」約8年もの間、困難な状況下で復興活動を続けている災害NGO結は全国的に見ても希少な存在だ。各都道府県にボランティアセンターをコーディネートできる民間団体が一つずつあれば日本の復興力はだいぶ上がるのではないかとトムさんは願いを込めて話す。

プロのサッカー選手、プロのミュージシャンがいるのに、なんでプロの人助け人がいなのかって思って。だから人助けでちゃんと食っていけるようになろうと動いて、今回はパタゴニアやスノーピーク、KEENなどに支援していただき、最大スタッフ5名体制で動きました。現場仕事だけでなく、ビジネスや法律のことも学んで、もっともっとプロフェッショナルになっていかないといけないですね。」

これまでプロフェッショナルが存在しなかった領域に仕事をつくる。
それは到底容易いことではない。
トムさんは災害復興という厳しいフィールドでそれを実現している。
彼が見てきた景色、蓄積してきたノウハウ、描いているビジョン。
それらをたくさんの人と共有していくことが、次なる災害から日本を救うひとつの鍵になるのではないか。
人助けと一言で言っても、それは私たちが思っているよりもっと多面的で、クリエイティブで、経済性すら伴う。人助けの固定概念から一度抜け出して自由に発想することが求められている気がした。
もっと多様な人々が復興に関わり、様々な人助けの形が現れることが復興を大きく後押しするだろう。

取材・文:柳瀬武彦
写真:柳瀬武彦・野瀬雅之
写真提供:前原土武

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