取材班による現地レポート

農業で野村の魅力を伝えたい〜シンビジウム農家・熊谷さんの新たな挑戦

2019.11.25

西予市野村生まれ、野村育ちの熊谷琢磨さん。香川大学農学部に学んだ後、22歳で野村にて新規就農した。以後、30年にわたって洋ラン・シンビジウム生産に取り組んできた。西日本豪雨により野村ダムから放流された水は、出荷を待つ花鉢や苗の全てを飲み込み、ハウスを崩壊させた。しかし、熊谷さんは負けなかった。 

Uターンでの就農。そしてオリジナルのシンビジウムを開発

熊谷さんとシンビジウムの出合いは、大学在学時。研修に行った高知で大学の先輩がシンビジウムを栽培していて「何でも教えるから」と言われたことがきっかけだそう。卒業して西予市に戻ると、肱川の右岸にある農地にハウスを建てた。就農を後押ししてくれた父親が退職すると2004年に法人化し、フローラルクマガイ代表となった。肱川の左岸には、約8アールの出荷専用ハウスも建てた。 

(フローラルクマガイ フェイスブックページより)

シンビジウムは、苗から育て3年後に出荷する、手間のかかる花。主に贈答品として取引される高級な鉢花だ。しかし、時の移り変わりと共に、シンビジウムを取り巻く環境も変わってきた。景気が悪化しモノ余りの時代になるにつれ、単価が下がってきたのだ。 

そこで熊谷さんは「付加価値を付ける」「差別化する」ために、出荷の形態を大きく変えた。本来まっすぐに育てるシンビジウムだが、胡蝶蘭のように茎をアーチ型に曲げ、鉢にボリュームを出す「アーチシンビ」を生み出した。高い技術と経験が必要で、満足いく形にするのは難しい、熊谷さんにしかできないシンビジウム。珍しさや豪華さが人気を集めている。 

「大丈夫だろう」から一変。川に飲み込まれたビニールハウス 

76日夜。
消防団OBでもある熊谷さんは、自然相手の仕事をしていることもあり「この雨の降り方はおかしい」と感じていた。しかし、肱川の水位が増えた様子はなかった。また、過去に避難を促されることはあっても結局何もなかったことから、今回も「氾濫することはない」と思っていたという。 

7未明にかけてものすごい勢いで雨が降ってきた。携帯電話を見たら、消防団員の友人から「不要な外出はしないように」と連絡があった。「これはちょっと異常だ」と感じた熊谷さんは、川沿いにあるハウスの様子を見に行き、トラックを移動させることにした。ハウスに到着し、地面に置いてある器具を高い場所に移していると、「今から野村ダム放流が始まるので避難するように」と何回もアナウンスが流れてきた。熊谷さんは心の中では「大丈夫だろう」と思いつつハウスから離れ、小高いところに向かった。 

620分、野村ダム放流。
650分には、水位があっという間に上がり、ハウスの上1メートルくらいの高さまで浸水した。 熊谷さんは「これはある程度浸かるな」とあきらめて自分の命を守るために自宅に帰って、水が引くのを待つことにした。 「家の2階から川が見えるのですが、普段水面は見えないんです。しかしこの日は違いました。とにかく、一面が『川状態』でした 

7月7日朝のハウス周辺の様子(フローラルクマガイ フェイスブックページより)

ハウスが心配な熊谷さんは11時頃に車で近くへ行ってみた。ハウスのビニールは破れ、よく見ると3メートル80センチの位置まで浸水した跡が付いていた。対岸のハウスは、完全に崩壊していた。 

7月7日午後のハウス内(フローラルクマガイ フェイスブックページより)

ハウス内は想像以上にひどい状況だったシンビジウムの苗は水に浸かると病気になり、育てても美しく成長しない。消毒すれば、とも思ったが、苗は全て流されていた。この年出荷予定のシンビジウムも泥に埋もれていた。「もう、あきらめの気持ち。妻に働きに出てもらわないといけないかなと思いましたね」とその時のことを振り返る。 

しかし、何もしないわけにはいかない。倒壊したハウスの解体、土砂撤去……。自分たちでやれることと、業者に頼むことを振り分け、復旧作業を続けた。友達や親戚を中心に、多くの人が復旧作業に手を貸してくれた。 

復旧作業の様子(フローラルクマガイ フェイスブックページより)

再建か撤退か。熊谷さんの多角化再建という経営判断

被災後、経営者として「今後どうするか」を考えた熊谷さん。 

どこでハウス栽培をしても災害やリスクはつきもの、何があるか分からないのは同じこれからも水害以外の自然災害もあるだろう。一回の災害に負けず、ここで再建しよう」と思った。 

その気持ちの源に、「四国西予ジオパークの活動がある。ジオガイドを務めたり、勉強会に出席したりしている熊谷さんは、「肱川流域では過去にさまざまな災害があった。人間は、その災害を利用して生活圏を広げていった。例えば水害によって畑が広がるなどを繰り返してきた。ここにある自然と対峙し、うまく付き合えばいいじゃないか」と感じたことを思い出したのだという。
経費面を考えても、ここでもう一回頑張るべきだ 熊谷さんは決めた。 

しかし、シンビジウム市場は縮小傾向にあり、再開してもすぐには収入に結び付かない。再建の費用もかかる。いったんはシンビジウム生産の規模を縮小し、前々から考えていたトマトやイチゴ栽培を開始することにした。同業者や熊谷さんが理事長を務めるNPO法人の仲間のアドバイスもあり、ハウス修繕と再建の費用をクラウドファンディングで集めた。

うちが被災したことを知らない知人や恩師から、金銭的支援の他、手紙や励ましの言葉を寄せてもらいました。90歳近い恩師からは携帯にメッセージをもらい、感激しました。研修先の高知の先輩や、他の先輩にも気遣ってもらって、とてもうれしかったです」 

多くの人の支援と励ましのおかげで、トマトハウスが完成。今年5月にはクラウドファンディングの支援者にハウスをお披露目することができた。 「お世話になった恩師や先輩も激励に来てくれ、被災は大変なことだった良いこともあったな、と思いました」 

完成したハウス内でミニトマトの培土をポット詰め(フローラルクマガイ フェイスブックページより)

観光農園として野村の魅力を発信する

昨年12月から栽培を始めたトマトは、今年5月に出荷をスタートした。現在はトマトを栽培しつつ、イチゴや花の生産に着手している  

大変な被害から立ち上がり、前を向く熊谷さん。その先には「観光農園」を構想中だ。まだまだイチゴ生産は本格的ではないが、将来「観光イチゴ狩り」をメインとしたいと考えているという。「まずは作りこなすことが大切。最初の1年は勉強して、まずは作ってみて、どんな味か試したい。来年・再来年に納得いくおいしいイチゴが栽培できたら、観光農園化して、野村を訪れる人を増やしたい。トマト栽培が軌道に乗れば、加工品を作ることも視野に入れています」と頼もしい。 

10月にはイチゴを定植(フローラルクマガイ フェイスブックページより)

自分自身の再建は、まちの再建

野村地域の復興まちづくりについて市民が話し合う「のむら復興まちづくりデザインワークショップ」が5月から開催され、熊谷さんも全6回全てに参加した。 

「私にできることは、農業を通して野村の魅力を発信し続けること。私が再建の成功事例となることで、野村の活性化に繋がれば。それは、生まれ育った大好きな野村への恩返しにつながると思っています」と力を込める。 

観光農園の夢へ向けて第一歩を踏み出した熊谷さん。それは簡単でも見本があるわけでもないけれど、30年という長きにわたり鉢に情熱を傾けてきた熊谷さんなら、きっと農業で成功事例をつくってくれる。きっと、野村のまちを元気にしてくれる。 

 

いまできること取材班
取材・文 門田聖子(ぶるぼん企画室)

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