取材班による現地レポート

小屋浦の秋。心機一転をひとつずつ

2018.11.26

7月の災害から4ヵ月。 夏はボランティアの人々も多く入っていた広島県安芸郡坂町にある小屋浦地区。今はJRも開通している。夏の終わりまで坂町ボランティアセンターのまとめ役をしていた増田勇希さんからご連絡をいただき、 小屋浦で被災された方のお家の家具を出すお手伝いをさせてもらった。11月半ばのある日、朝8時。

坂町ボランティアセンターにジャケットを着込んだ増田さん、広島市内在住の濱長真紀さんと花岡匡子さんが集まった。皆、夏にボランティアに参加してい仲間だ。軽く挨拶を交わし、そこから車で10分程にある小屋浦の作業先のAさん宅へと向かった。

Aさん(53才)とそのお母様(80才)は近くの町営の仮設住宅に住み、お父様(87才)は福祉施設に入っているという。災害直後、周囲は1メートルを超す土砂で埋め尽くされていたが、今は殆んどの土砂が撤去され何軒かの家は修復されていた。

Aさんのお宅の1階の土砂の掻き出しは終えているが、乾いた泥と床板を外した床下が見え、窓や壁には当時の土砂の爪痕が残っていた。12月末までに坂町に申請すると、家を解体する費用を公費で負担してもらえるとの事。しかしお父様が約40年前に様々な愛着と思い入れを持って建てた家。解体せずに建て直せるならばとも思うが、資金面や今後も起こるかもしれない災害の不安も考えると、Aさん親子はどちらとも決められないまま日にちばかりが 過ぎていた。

被災から4ヶ月が過ぎ、申請の締切が迫る中、そろそろ心機一転したいという思いにも駆られ、とりあえず2階の荷物から片付けてみようとしてみたという。

男手の増田さんはノコギリ等を使い2階の大きなタンスの解体担当、残る女性3人はバケツリレーのようにして引出しや部分の木材を1階の玄関前へと運んで行った。狭い階段を何度も往復する。

高齢者の方だと、これだけでも大変な事だと思う。

小屋浦は戦中の長屋の建物も残っている古い港町。JR呉駅までは電車で約15分の所にある。何軒もの家が徐々に修復されてはいるが、まだ手付かずのまま残っていたり、解体作業を待機中の家など様々だ。仮設住宅の期限は2年と言われており決断もせねばならないそう。

Aさん宅で、荷物を大方出しきった頃にはポカポカと陽も照って昼近くになっていた。

2階軒先のベランダでAさんがお母さんと話していると、近所の元吉勝子さん(73才)が通りかかった。ベランダから「どうしたんー。お出かけ?」とお母さんが声をかけると「猫の餌やりにね。今から買い物よー」と元吉さん。 

「引越しするん?」と元吉さんが聞けば「違うんよ。まだ決めとらんのんよ。」と会話は2階のベランダと玄関前に立つ元吉さんの間で続く。とても微笑ましい光景だった。元吉さんも仮設住宅に住んでいる。そこでは動物が飼えない為、定期的に飼い猫に餌をやりに来ているそう。古い町で顔なじみが多く、住み続けたいと願う高齢者の方は多い。

終盤に一息つきながら皆でワイワイと話し、時おり笑い声も混じるようになった頃、Aさんが 1階の壁や床を見ながら「父は何でもつくる人だったんです」とぽつりと言った。

玄関の物置やベランダなどお父さんが1つ1つ、大事にこだわって作った場所や建材などを教えてくれた。

家は家族の一部。そしてきっと、町もその人の人生の一部。全く関係のない他者と話し、関わる中で少しでも被災者の方達の気持ちが整理されたらと心から願う。そしていつも思う。坂の町は海と島に囲まれた、のどこかで本当に美しい町だ。

 

増田勇希さん:特定非営利活動法人ひろしまNPOセンター
絵と文:沢田妙

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