取材班による現地レポート

5か月経った被災地の、今だから伝えられること。

2019.01.18

1本の傘が紡いだ奇跡と出会い

2018年11月、広島県安芸郡坂町小屋浦地区で行われた無料フリーマーケットを取材したとき、主宰者の中山さん(写真右)からある女性を紹介された。
無料フリーマーケットの会場だった天地川公園のすぐそばで電機店を営む問芝さん(写真左)だ。

手に持つ青い傘は、中山さんが第1回目の無料フリーマーケットに持参していた児童用の傘。
思いもかけない偶然が重なり、問芝さんの手に渡ったその傘は、かつて保育士として働いていた園の生徒だった、Tくんの傘だったのだ。

傘に書かれた名前を見てピンときた問芝さんは、当時、Tくんの担任をしていた同僚の保育士に連絡をとった。
そして、その傘がたしかにTくんの物であること、そしてTくんは病気のため亡くなってしまったことを聞いた。

中山さんによると、Tくんのお母さんは形見として傘を大事にとっていたそうだが、今回の災害状況を見て「もし必要とする誰かがいるのなら、使ってほしい」と、その傘を中山さんに託したそうだ。

「(その話を聞いて)ああ、人の気持ちってこんな風につながるんだなと思って。私が保育士として関わっているときから、Tくんが深刻な病気を抱えていることも、お母さんの覚悟も知っていました。だからこそ、お母さんがどんな気持ちでこの傘を託したかと思うと……。もしかして、Tくんが私のところに来てくれたんじゃないかと思って。私も形見として大事にさせてもらおうと思っているんです」

もうすこし落ち着いたら、Tくんのお母さんに連絡をとってみようと思っているそうだ。

当事者だから伝えられること

この写真は、問芝さんの家の前の天地川公園の風景だ。
傘のお話しを伺っているとき、へしゃげたまま放置された公園の柵を見ながら

「こういう光景が毎日、眼からはいってくるのが辛いのよね」

と、問芝さんがぽつりと言った。
なにげなく発したその言葉が、私の心に突き刺さった。
その後、こんなメールもいただいた。

いろいろな支援を受け、こんなにも人の温かさを感じられる体験をし、災害とは…を考えさせられました。
今までの自分、他人事に対する見方。
反省とともに、当事者になってわかること、たくさんありました。
救助や支援は早くやることに意味があるものと、継続的にやることに意味があるものがある、そう思います。

被災した方にしかわからない感情や想い。
それは災害から数か月がたった今だからこそ伝えられることと確信し、後日改めて取材を申し込んだ。

災害から5か月経った小屋浦の“いま”

再びの取材に訪れた11月25日は、小屋浦小学校で『ウォーキングスタンプラリー大会』が行われていた。
問芝さんは保護者としてそのお手伝いをされるということで、小屋浦小学校を訪れた。

豪雨災害が起きたあの日、小屋浦小学校のすぐ横を走る天地川が氾濫した。
あたり一面が土砂に埋め尽くされ、日を追うごとに悪臭を放った。
その土砂はきれいになくなったが、学校へとつながる川をまたぐ橋は今も修繕されることなく、崩れたままだ。

災害直後、小屋浦小学校は避難所になった。
予定通り9月3日に2学期の始業式を迎えたものの、災害ゴミが山積みになっていたグランドは9月いっぱい使えなかった。
近所にあった小屋浦みみょう保育園は再建の見通しがたたず、今も小屋浦小学校の教室を借りて運営中だ。

「いろいろ不便はあります。でもボランティアさんや先生方の努力のおかげで、小学校も保育園もなんとか9月から再開できました。本当にありがたいです」

被災して初めてわかった“当事者”の気持ち

問芝さんのご主人は災害直後から消防団の一員として、避難所各所や被災した住宅を回っていた。
漏電チェックや電源の復旧などの電気工事も行ったという。

そんなご主人がひどく疲れた顔をして帰ってきたことがあったという。

「主人たちが避難所になんとか電源を引き入れて、やっと電気が通ったとき、「電気がついた!」「冷房が使える」と喜んでもらえると思ったらしいんですね。でも部屋が明るくなって見えたのは、みんなの疲れ切った表情だったんです。それがとても辛かったみたいで……」

今、自分たちがいかに過酷な状況にあるのか、思い知らされた瞬間でもあった。

場所によっては1週間以上、浸水した水がひかず沼地のようになっていた所も多くあった。
そんな場所を毎日駆けずり回り、全身泥だらけで帰ってくるご主人の長くつや服を、問芝さんは毎日川で洗い、そばにある木に干した。

「7月29日までは水道も使えなかったですからね。ほんとに戦後みたいな生活でした。今までもいろんな震災のニュースを見て、大変だなあと感じていたけど、やっぱり自分がその立場になって初めてわかることがたくさんありました」

災害直後に熊本から届いた忘れられない支援

問芝さんは災害直後に物資を届けてくれた熊本の方々のことが今も忘れられないという。

「災害直後の、まだ雨が降りしきる7月7日のことです。着るものもない、汚れをふきとるタオルもティッシュもない。そんなときに、熊本から駆け付けた1台のトラックが物資を届けてくださったんです。届けてくれたのは、まさにそのとき一番必要としていた物ばかり。「24時間以内に被災地に届ける」というのをモットーにしているそうなんですが、道路がどんどん通行止めになっていく中、熊本からどうやって来てくれたんだろうと、今も不思議に思うんですけどね。一番困っているときに、一番必要な物を届けてくださって、本当にありがたかったんです

写真のタオルはそのとき届けられた一枚で、今も大切にとっているという。

「その1週間後だったかな。ちょうど物資がなくなった頃にもまた熊本からトラックいっぱいの荷物を届けてくださって。ニコニコしながらどうぞ、どうぞって……。あれ以来、もしどこかで災害があったら、自分は何ができるだろう?って考えるようになりました

今も継続するボランティアが届けているもの

そしてあの日から5か月経った今も、継続的に小屋浦地区でボランティア活動を続けてくれるたくさんの人たちがいる。

「当時に比べれば、随分と落ち着いたこの地に、今もずっと来てくださるボランティアさんがたくさんいらっしゃるんです。そういう方々の存在が、気持ちのうえで私たちの支えになっているんです。小屋浦のことを忘れずに、ここに来て、ここにいてくれることが嬉しいし、ありがたいんです

「いてくれることが嬉しい」そう語る問芝さんの目にはうっすら涙が見えた。

今回の災害の経験からなにを感じ、見つけるのかは人それぞれだ。
もし災害が起きたら?何ができる?いま、できることは?

その答えをすぐにだすのは難しい。
しかし、取材を通して感じ続けているのは「他人事にしない」ことの難しさと大切さ。
まずはそれが支援の第一歩になるのかもしれないとも思っている。

 

いまできること取材班
文・写真 イソナガアキコ

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