取材班による現地レポート

被災から8ヶ月。「みんなを笑顔にしたい」一人の女性が始めた小さな活動

2019.03.12

西日本豪雨災害からはや8ヶ月。
一通りの片付けも終わり、日常を取り戻しつつあるように見える被災地。
全国から入ってきていたボランティアの撤収も進む中、これからはいよいよ住民主体の活動が求められるフェーズに入ったといってもいいだろう。

まさに今、そうした住民主体の活動の立ち上げに奮闘する一人の女声がいる。

広島県の中でも被害が最も深刻だったエリアの一つ、広島市安芸区矢野在住の北野直美さんだ。

自身の家は直接的な被害は免れたものの、道路一本挟んだエリアの多くは浸水し、一時は家に引きこもってしまうほど精神的にダメージを受けたという彼女が、今、自ら声を出して、街を元気づける小さな活動を始めようとしている。

これからの復興の道程について模索が続く中、彼女の活動は大きなヒントになると感じた。
今回は、彼女がどんな活動をしているのか、その内容やきっかけとなった出来事について、話をうかがってみることにした。

現実に起きていることを理解できなかった数日間

画像提供:北野さん

2018年7月6日。
「雨がよく降るなあ」「(家の前の)道が混んできたなあ」くらいにしか思わなかった、と北野さんは“あの日”を振り返る。
しばらくすると、山手の方に住んでいる友達や、小学校のPTA関係のLINEで、目を疑うような画像が続々送られてきた。

「自分の家の周りは何も起きていないのに、少し離れた場所の道路は濁流になって車が流されている、そんな画像がどんどん送られてきて、ちょっと頭で理解できない状態でした」

「何が起きているんだろう」と混乱するばかりだったという北野さん。

しばらくすると、北野さんの家の周りにも「土臭い」臭いが漂い始めた。
近所のコンビニエンスストアの駐車場には、身動きの取れなくなった車が行列を作っていた。
「とりあえず今日は家から出ないようにしよう」と、ただそれだけ思って眠りについた。

一夜明けて翌日、長女と周辺の状況を確認しようと家の外に出て、北野さんは絶句する。

7月7日に北野さんが撮影した矢野小学校の画像

矢野小学校の校庭には大量の土砂が流れ込み、家からすぐ近くの下り坂になっている道路はまるで川のようになっていた。

左が7月7日の写真(画像提供:北野さん)。右が同じ場所の現在の写真。

ただ、まだこの時点では災害の全体像はまったく理解できていなかった。
「上りになっている駅方面は被害がほとんどなくて、お店では買い物もできる状態でした。だから大変なことになっていると思いつつ、水さえ引けば何とかなるのだろうと思っていました」

豪雨の2日後、北野さんは近所のケーキ屋さんの土砂かきのお手伝いに行く。
「自分も何かしなくては」という気持ちからだった。
しかし猛暑の中の土砂かきは想像以上にハードな作業で、家に帰ると晩御飯を作れないほど疲れきってしまった。

「自分の体力のなさに呆然として。これでは行っても逆に迷惑をかけてしまうと、次の日からしばらく家に引きこもるようになりました」

テレビの報道を見て初めてわかった災害の全体像

その日から家にこもり、一日中各地の被害状況をテレビで見たり、LINEで送られてくる被災した近所の画像やFacebookに次々とアップされる被災者たちの声に目を通し続けた。

テレビで、自分の知っているあらゆる場所の変わり果てた姿を見て、大変な事が起きてしまったんだとやっと今回の災害の全体像が理解できました。水が引けば…どころか、これは終わりがあるのだろうかという不安でいっぱいになりました

そうした不安な気持ちと、被災した方々に対して「何かしなくては」と思っているのに、体が動かず引きこもってしまった自分。
いろんな気持ちを抱え込みすぎて、とうとう北野さんは高熱を出してしまう。
「子どものお弁当を作らなきゃいけないのに起きられない。どうしよう」

途方にくれる北野さんを救ったのは、中学1年生と小学4年生の二人の娘だった。

「ママは休んでればいいんだよ」そうやってお弁当を自分で作る娘さんの姿と言葉に心が救われた。

「うちは母親の私よりも子どもたちの方が元気というか、普段通りでいてくれたので助かりました。家族全員が塞ぎ込んでしまわなくて本当に良かったと思いますね」

旅商人拓さんとの出会い

画像提供:北野さん

そんな北野さんに1つの転機が訪れる。
Facebookで豪雨災害の情報を集めていた時のこと、あるボランティアの活動報告に目が止まった。
埼玉から一人で駆けつけて、矢野地区でボランティア活動を始めていた『災害臨時NPOチーム旅商人』の横山拓さんのFacebookページだった。

そこには「パソコンができる人」、「地元を知っている人」「なんでもいいので来てください」と書いてあった。
それを見て「自分でも何かできるかも」と思えたのだという。

「よし、やろう」そう決めてから拓さんにメッセージを送るまでに2、3日迷ったというが、意を決して「雑用でもなんでもします」と連絡したのが7月20日、そして23日には拓さんの活動の拠点となっていた町内にある尾崎神社で、ボランティア受付の事務作業や掃除などの環境整備の手伝いを始めていた。

通ううちに仕事の幅はどんどん広がり、ボランティアの人に利用してもらう銭湯の交渉に行ったり、日々増え続けるボランティアの宿泊先を探して手配するなど、地元民として地域とボランティアを繋ぐ役割も担うようになっていった。

拓さんとの出会いで変わった災害への向き合い方

画像提供:北野さん

8月に入ると、引きこもって以来、恐怖感から近寄ることができなかった矢野サテライトにも行くようになった。
高齢の方も受付などで汗を流す姿を見て「なんでもっと早くこなかったんだろう」と後悔したという。

そのサテライトの中で、拓さんが立ち上げたカフェも手伝うようになった。
ボランティアさんに飲み物を提供するととても喜んでもらえた。
そうした活動は北野さんの気持ちをどんどん外向きに変えていったという。

自分が役に立っていると感じられることですごく気持ちが安定しました。拓ちゃんを始め、ボランティアの方たちもみんな笑顔で活き活きと活動していて、彼らの朗らかさというか、明るさに私は救われたし、そういう人は他にも多かったんじゃないかな。「何もできない」と塞ぎ込んでいたしんどさから解放されました」

拓さんが矢野地区で活動した約2ヶ月あまりで、内向きだった北野さんの意識はガラリと外へ向いた。
災害への向き合い方も大きく変わっていた。

拓ちゃんはたった一人で何も知らない土地へ来て、ここで沢山の仲間を作りながら矢野のために頑張ってくれました。拓ちゃんの人間性はもちろんだけど、自分から動くこと、やりたいことを「やりたい」と手をあげることが大切なんだとわかりました

拓さんの活動を目の当たりにすることで、ボランティアにもいろんな形や方法があるということを知った北野さんは、ついに自らアクションを起こす。

災害が起きた7月は奇しくも花火大会シーズン。
しかし豪雨災害の影響によりことごとく中止になってしまい、残念がる子どもたちのために「今、できることで子どもたちを楽しませてあげたい」と手持ち花火まつりを企画した。
まつりには50人の子ども達が集まった。

画像提供:北野さん

その1週間後には、そうめん流しまつりも企画した。
子ども達やその保護者たちと、ひと夏の思い出をたくさん作った。

「大げさに考えなくてもやりたいと思ったことをできる人がやればいいんだ、と思うようになっていました」

画像提供:北野さん

復興のその先へ

そんな北野さんは今、次の目標に向かって邁進中だ。
3月23日に、かつて拓さんが活動の拠点としていた尾崎神社で『矢野シタマチ×マルシェ』を行う。
これを1回きりにせず、継続することが当面の目標だという。
住民発信の活動は規模の大小よりも継続させることが重要で、継続することでその活動意義はより深まっていくを理解しているからだ。

チラシには「復興」という言葉は使われていない。

復興ばかりうたっても終わりはないので、あえて入れませんでした。でも気持ちはもちろんそこにあって、被災直後の写真を展示したり、食や雑貨のお店が集めて近隣の方に楽しんでもらえたらいいかなって思っています

資金や活動場所の確保など問題は山積みだという。
でもたくさんの経験を積んだ彼女なら、きっとやり遂げてくれるに違いない。

 

いまできること取材班
文・写真 イソナガアキコ

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