取材班による現地レポート

負の経験こそパワーの源〜音楽で人と街を癒す『復興音楽祭』

2019.05.17

豪雨災害から早10ヶ月。
以前取材した広島県安芸郡小屋浦に住む方から、「知人の女性が復興音楽祭を開催するのでぜひ取材してほしい」と連絡をいただいた。

その女性とは、小屋浦地区に住む城谷智子(じょうやともこ)さん。
「取材は自宅で」と提案いただき、城谷さんのお宅に伺った。

7月6日に起きたこと。

まず最初に案内していただいたのは、天地川の氾濫により甚大な被害を受けた、小屋浦みみょう保育園。現在は更地になっている。

2018年12月に入って国の補助を受けて再建できる見込みとなり、つい先日、解体作業が終わったばかりだそうだ。2020年秋には、この同じ場所に新しい園舎が完成する予定だという。
実は、城谷さん宅は小屋浦みみょう保育園のすぐ裏手にある。

7月6日。天地川の氾濫により高さ1.5メートルもの濁流が2階建てだったみみょう保育園を直撃し、建物の1階全部が土砂で埋まった。

「我が家の庭にも、車のバンパー下くらいまで土砂が流れ込みましたが、図らずも、保育園の建物があったことで濁流の直撃を免れる形となりました。もしこれ以上の土砂が流れ込んでいたら、窓を破って家の中へ土砂が流れ込んでいたでしょう」

写真右の建物が小屋浦みみょう保育園

災害直後の城谷さん宅の表側の庭。車のバンパー下まで土砂が流れ込んだ

災害当日の状況をさらに詳しく教えていただいた。

「19時30分頃、ゴロゴロと雷のような音がし始めて、「なんの音かな?」と思って主人と外に出てみたんですが、その時はまだ川の水は溢れていなかったんです。でも19時40分に大雨特別警報が出て、45分頃には山に近い小屋浦4丁目あたりで土砂崩れが起きていたそうです。でもその時もこの辺りはまだ、そんな危ないとも感じてなくて。家の表(玄関)の方は水もたまっていませんでしたから」

避難所となった小屋浦ふれあいセンターに避難したのは、城谷さん夫婦が最後だった。

「人って、表の方ばっかり気にしちゃうんですね。裏手に気がまわらなくて。20時近くになって表の方も水が溜まってきて「これはまずいぞ」とやっと主人と避難所に駆け込んだんです」

避難所となった小屋浦ふれあいセンターは連日人が溢れていた

あとでわかったことだが、その頃はすでに小屋浦地区ではいくつかの家屋が濁流に流されており、小屋浦地区だけで15名の方が亡くなった。

音楽の力を信じて……

自分の家も流されていたかもしれない。けれど奇跡的に“生かされた”。
城谷さんは自宅でピアノ・エレクトーンを中心とする音楽教室を主宰しており、1階には大切な楽器もたくさん置いていたが、それらも全て無事だった。

「この状況の中で生かされたのだから、何かをしなくてはという気持ちになりました。その“何か”は音楽しかないと思いました」

そういう想いに至るには、さらにあるきっかけがあった。
それは災害から約半年経った2018年12月23日、親交のあったソプラノ歌手の岩本未来さんが企画・プロデュースしたチャペルコンサートに、クラシックオルガン奏者として出演したことだった。

城谷さんが出演したチャペルコンサートのチラシ

「自分はこれまでずっと指導者として活動してきたので、奏者ということを意識したことがなかったんです。奏者として出演のお誘いいただいたときはびっくりしました。でもお声をかけていただいたことが嬉しくて「ぜひやらせていただきます」とお受けしました」

災害からやっと半年を迎えようかという頃。
無料のチャリティーコンサートが開かれることはあったものの、楽しいことや派手なイベントは控えなくては、という空気がまだ漂っていた。

その中で、有料のチャペルコンサートに奏者として参加すること、そしてみんなに来てくださいということは勇気のいる決断だった。
しかし蓋を開けてみれば、小屋浦地区から15名の方が駆けつけてくれた。

「災害以降、閉じこもってしまった人も多かったんですが、みなさん、お金を払ってわざわざ来てくださったんです。そして普段の生活で味わえない経験ができたと本当に喜んでいただきました」

その経験を通して、本物にこそ人は感動するということを身をもって実感し、お金を払うこと、いただくことで得られるものの意味も改めて考えた。

小屋浦の人たちに本物の音楽と喜びを届けたい

そして、年明けすぐの1月初旬、城谷さんは動き始める。

音楽教室の発表会を開催するために、収容人数約1000席のサンスターホール(安芸郡坂町)を予約していたことを思い出し、それを利用して本格的な音楽祭を開こうと思いつく。
予約していた日付は2019年3月21日。準備期間は2ヶ月しかなかった。

でもやるからにはきちんとした音楽祭にしたいと思った。プロの音楽家たちに正式に参加を依頼したい。ちゃんとしたプログラムも作りたい。そのためにはとにかく資金が必要だった。協賛を募るため、地元の企業を訪ね歩いた。無我夢中だった。

復興音楽祭の資料を感慨深げに眺める城谷さん

そんな一生懸命な彼女の姿に一社、二社と支援企業が増えていく。
坂町文化協会、坂町教育委員会、最終的には坂町までもが後援してくれることになり、
支援の輪は一気に広がった。協賛金も沢山集まり、プロの音楽家を呼び、音響設備も整え、パンフレットを作ることもできた。

さらに復興音楽祭当日には小屋浦から無料送迎バスを出すこともできた。そのおかげもあって90歳の女性を含む45名の地元の方が復興音楽祭に駆けつけた。「行けないと諦めていたのに行くことができた」「行ってよかった」「楽しかった」と、地元の方にとても喜んでもらえたという。

城谷さんの復興への想いが込められたプログラムには、いろいろな工夫がなされていた。
スライドを用意し、「星に願いを」を演奏しながら災害前の小屋浦の風景を流したときは、多くの人が涙を流したという。

チャペルコンサート出演の機会を作ってくれたソプラノ歌手岩本未来さんも出演。
美声で観客を沸かせた。

  

地元坂町のマンドリンクラブやコーラスクラブも参加、城谷さんの音楽教室の生徒たちも「小屋浦ミュージックファミリー」として参加した。

実は、城谷さんの教え子の母親が一人、いまだに行方不明のままになっているという。
彼女に心を寄せつつもどう声をかけていいか悩んでいたという城谷さんは、音楽でなら思いを伝えられると思い、お母様のためにノクターンを演奏したそうだ。

西日本豪雨がもたらしたもの

城谷さんが撮影した災害直後の天地川の様子

西日本豪雨災害は、被災地の住民にたくさんの悲しみ、苦しみをもたらした。

「今も、災害の爪痕が残る場所は無意識に目をそらしてしまいます。流されてきた土砂のせいで多くの木や花も枯れてしまいました。荒れはてた庭に雑草がはえてきたとき、その緑色が愛おしくて、今もその雑草を抜くことができないんです」

城谷さんの庭で伸びやかに葉を茂らせる雑草

でも辛いことばかりではなかった、と城谷さんは続ける。

「まさか自分が復興音楽祭のような大きなイベントをやるとは、災害前の自分からは想像もつきませんでした。でも災害を経て、私の中の何かが目覚めた。災害直後は外部の方から多くの支援をしていただきましたが、これからは地元発信しかない、と思っています」

来年も「復興音楽祭」を続けるつもりだという。頭の中にはすでにいくつかの構想もあるそうだ。
たくましく前を向き続ける城谷さんの姿に、新しい希望を見つけた気がした。

 

いまできること取材班
文・写真 イソナガアキコ

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