取材班による現地レポート

2カ月たった真備町について ー国崎信江さんに聞いた

2018.11.09

平成30年7月西日本豪雨より2カ月が過ぎ、被災地にも変化が見られる8月の終わりに危機管理教育研究所・代表の国崎信江さんに話を伺った。

当時の倉敷市役所

―国崎さんが倉敷市に来られたときはどんな状況でしたか?
緊急対応に、市の職員は翻弄されていました。どこの被災地でも数日間は、混乱するのは仕方がないです。本部は、現場の状況がわからず、避難所担当の職員もまた本部の態勢がわからない。被災住民は、市は何をしているのか、自分はこれからどう生きていくのか不安は募り、現場職員に様々な質問が殺到する。そんな中でも責任感の強い職員が多かったように思います。厳しそうな表情も見えましたが、なんとか踏ん張っていました。

―災害対応を改善するためにどんな活動をされましたか?
災害対策本部と避難所で互いにスムーズに情報共有ができるよう、各避難所にタブレットを配置することを勧めて過去の被災地における導入方法をお伝えし、さらにそこにLINEをダウンロードし情報の共有化についての提案をしました。避難所と本部を1対1でつなぐのではなく、各避難所から本部への状況報告、要望の共有を可能にしました。ひとつの避難所で困っていることは、たいてい他の避難所でも困っていることが多いのでITの導入により情報が共有され問題解決が速くなったと思います。また、災害が相次いだこともあり、支援者の経験値も上がり段ボールベッド、パーテーション、冷房設備など、避難所の環境改善に必要な設置はこれまでの災害に比べかなりのスピード感があったように思います。

トイレトレーラーの導入

―ほかに、今回の災害で関わられた支援を教えてください。
断水した被災地で困ることの一つにトイレが使えないという問題があります。倉敷市内でもトイレが使えなくて不便な思いをされている方が多くいらっしゃいました。以前から私は「災害派遣トイレネットワークプロジェクト みんな元気になるトイレ」の活動を知っていましたので、すぐに派遣の依頼をしました。この取り組みは、各市区町村が平時からトイレトレーラーを保有し、災害が起きた被災地に派遣する仕組みをつくろうとするものです。現在は、静岡県富士市、愛知県刈谷市、静岡県西伊豆町が参加していて、倉敷市の要請で富士市のトイレトレーラーが真備町内のボランティアサテライト「呉妹(くれせ)診療所」と、避難所となっていた第2福田小学校に設置されました。避難所には仮設トイレが設置されますが、このトイレトレーラーは明るく清潔で広いので利用者から非常に喜ばれました。

倉敷市役所内は、ダブル業務

―倉敷市での支援で感じられた課題は何でしたか?
今回の災害で、倉敷市が抱えた大きな課題は、大雨で被災した地域と大雨の影響を受けない地域が混在したことです。限られた職員で通常業務を継続しながら災害対応をローテーションで回していくことはとても大変なことです。体力的な負担差だけでなく、通常業務をする職員と避難所担当など被災地で活動する職員の意識差による精神的ストレスも相当だったと思います。そのような中、足りない手を国や県外からの職員の方々が支援してくれたことは大きな救いになったと思います。

夏休み

―夏の被災時期で感じられることは?

2018年の夏は、猛暑日が続きました。連日の猛暑のなかで活動をするにはどの立場の方にとっても厳しい状況でした。泥かき、水損した家具の運び出し、搬送といった過酷な活動に加えてがれきの集積場での害虫の駆除や地域の悪臭の対応にも苦慮しました。避難所では、冷房設備が設置されるまでは氷や扇風機でしのいでいましたので、熱中症等で体調を崩される方がいないか関係者は警戒を強めていましたし、食中毒や蚊などを媒体とする感染症などの心配もありました。一方で、学校が休校から早めの夏休みの措置を取れたことで、避難所となった学校で子供たちの生活への影響は最小に留められ、学校の始業式を前に避難所の閉鎖、集約、仮設住宅へという目標をもって対応することができたと思います。夏休みを利用して被災した学校が仮校舎を建てる準備に当てられたことで、新しい学期と新しい環境という気持ちや運営の切り替えが良いタイミングでできたことも子供や保護者、教職員、教育委員会の方たちにとっては良かったのではないでしょうか。ただ、大きな変化に慣れるまでは時間がかかるので、とくに子供たちの様子を十分に観察していく必要があると感じています。

トレーラーハウスの仮設住宅

―今回の災害で初めて行われた試みはありましたか?
9月8日から北海道・長野県からやって来たトレーラーハウス型の仮設住宅への入居が始まりました。熊本地震の時に支援した益城町では、避難所において(感染者の隔離を目的とする)保護室や福祉避難所としてトレーラーハウスが利活用されました。しかし、仮設住宅としてトレーラーハウスが活用されるのは今回が全国で初めてだと思います。

トレーラーハウスというと、大きな車輪の上に載っているコンテナを想像する人もいたようで、第一次入居募集では、応募者が少なかったようですが、内見会を開いて実物をご覧になるとすぐに決まったようです。私が視察したときには、トレーラーハウスがすでに平置きされていて、中を見ると内装は木材を使い温もりを感じるつくりとなっていましたし、一般の住宅に劣らない設備がありました。50戸以上のトレーラーハウスが並ぶと本当に圧巻です。ちょっとしたリゾート地のようでした。初めてのことで、運用面で様々な問題も起こるかもしれませんが、仮設住宅の選択肢として今後の対応を見ていきたいです。

仮設住宅のコミュニティ

―仮設住宅での課題を教えてください。
避難所が閉所され被災者が仮設住宅に引っ越しを終える時期から被災地の報道は極端に少なくなります。仮設住宅に入居が決まると生活が落ち着いたように思えますが実際はそうでもありません。入居後、女性がまず初めに感じるのは狭いキッチンへの苦痛。2カ月以上の料理をしないブランクがありますので、料理をすることに馴染めない。どうしても簡易な食事になりがちで、体調を崩すこともあります。食事、風呂、洗濯、収納、寝床など新しい生活に馴染むには、少し時間がかかります。生活に馴染んでいくには、同じ気持ちを共有できるコミュニティの存在は大切。もともとあった地元のコミュニティは分断され、避難所でできたコミュニティも解散しました。仮設住宅の中で新しいコミュニティを作ることに疲れを感じる人も多いはずですが、仮設住宅内でしっかり寄り添いケアをし合える関係性ができることを願っています。

みなし仮設住宅へお住いの方

―真備町の外にいる方の支援はどのようにすべきでしょうか?
賃貸住宅を倉敷市が借り上げをして入居する「みなし仮設住宅」に転居した人たちは、被災していない地域に暮らしていることも多く、その場合地域の人たちに被災者の苦悩を理解してもらえず、心が傷ついたり孤独感を強めることもあります。そもそも自ら被災者ですとは言いにくく、被災者の存在がその地域の住民に知られていないという状況も少なくありません。 建設型の仮設住宅やトレーラーハウスの団地と異なり、近くに同じ気持ちを理解してくれる被災者が近くにおらず、様々な情報や支援が届きにくくなりがちです。倉敷市としてはみなし仮設にいる被災者の実態把握と支援団体との連携が求められます。 みなし仮設に入っている方もどうか元の地域の方とつながりを継続しつつ、さらに、新しい地域での交流も積極的に行ってほしいと思います。

安心してもう一度、真備町へ住むには

―今後の真備町に必要なことは何だと思いますか?
仮設住宅への入居、公費解体、これから自宅をどうするのか生活再建についての悩みが尽きないでしょう。真備町に戻りたいと願う人は、多いはず。しかし、大雨は毎年発生が懸念される事象です。戻るのであれば繰り返し襲われることも覚悟しなくてはなりません。戻るか戻らないかの判断の一つとして多くの被災者の方が岡山県や倉敷市による復興計画の発表を固唾をのんで待っていると思います。元の場所に戻るのであれば、高床式住宅など建築士などの専門家との共同研究により「真備町の水害に強い家づくり」の提案など、この場所で安心して暮らせる手がかりを考えていかれるとよいと思います。

 

【国崎信江プロフィール】
横浜市生まれ。女性や生活者の視点で家庭、地域、企業の防災・防犯・事故防止対策を提唱している。講演、執筆、リスクマネジメントコンサルなどの他、文部科学省「地震調査研究推進本部政策委員、防災科学技術委員、東京都「震災復興検討会議」委員などを務める。現在はNHKラジオあさいちウォッチの「国崎信江の暮らしの危機管理」のコーナーやテレビ、新聞などで情報提供を行っているほか、国内や海外での被災地の支援活動を継続して実施している。著書に『地震の準備帖―時間軸でわかる心得と知恵』(NHK出版」『サバイバルブック―大地震発生その時どうする? 』(日本経済新聞出版社)『マンション・地震に備えた暮らし方』(エイ出版社)、明治書院 これ1冊でできる!わが家の防災マニュアルなどがある。

 

いまできること取材班
文章・撮影:松原龍之

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