取材班による現地レポート

嘉永3年・洪水絵図から学ぶ 後世に伝えるために

2019.02.03

絵図に描かれた片山家 「早島町発行『早島の歴史3』史料編付録絵図1・高梁川嘉永洪水絵図」より

「150年以上前のご先祖様が残してくれた絵図」

2019年1月19日、つくぼ片山家で「嘉永洪水絵図を読む」が開かれた。同エリアに住む人、真備町で被災した人、防災士の人など約25人が参加した。

「高梁川嘉永洪水絵図」は、1850(嘉永3)年に起きた洪水の様子を鳥瞰図として梅園が描いたとされている。現当主より5代前にあたる片山延寿(片山孝太郎)さんがこの洪水で起こったことを後世に残すために、描かせたものだという。現在は、都窪郡早島町にある戸川家記念館に所蔵されており、縦100センチ・横210センチの大きさがある。

小瀬戸の堤から水が流れ入る様子。槍を持って集まる人たち 「早島町発行『早島の歴史3』史料編付録絵図1・高梁川嘉永洪水絵図」より

絵図と時間経過を黒瀬さんからの解説

同絵図では、現在では廃川となった東高梁川の安江村(現倉敷市安江)、四十瀬村(現倉敷市四十瀬)あたりで100間(約180メートル)に渡り決壊し、現在の倉敷市内だけでなく早島町、興除新田まで水は達した。雨は5月27日(新暦7月6日)から降り出し、6月3日まで降り続いた。戸川家記念館の黒瀬英樹さんは、経過を説明した。別の資料には5月1日、小田川の堤でも2カ所が決壊して箭田村(現倉敷市真備町箭田)、有井村(現倉敷市真備町有井)が浸水したようだ。平松勇之助が記した「嘉永3年水害記録・54条の水害心得」内では「溺死1人もなし」と伝えている。

「早島町発行『早島の歴史3』史料編付録絵図1・高梁川嘉永洪水絵図」より

絵図では、現在の美観地区周辺、現倉敷アイビースクエアのある倉敷代官所、帯江陣屋、藤戸、鶴崎神社の鳥居やお寺が見ることができる。船に乗って助けられた人や牛なども細かく描かれている。片山家、片山南分家も記載されている。

倉敷美観地区の周辺 「早島町発行『早島の歴史3』史料編付録絵図1・高梁川嘉永洪水絵図」より

絵図から学ぶこと、できること

参加者による防災に対しての話し合いがされた。「日頃から避難訓練をしておく」「避難場所を確認しておく」「地域でボートや船を用意しておく」などの意見が上がった。「地域で連携をとっておく」と意見が出たが、実際は避難訓練に来るのは高齢者ばかりという問題点も浮き彫りになった。「倉敷には柵のない水路が多い。水嵩が上がれば危険であることは以前から指摘があること」と災害が起こる前に対応すべきだという意見も上がった。この他、避難経路を歩いて確認する「防災ウォーキング」を実施している地区もあった。ハザードマップに間違いがないか、しっかり確認しておく必要があるという人もいた。

「早島町発行『早島の歴史3』史料編付録絵図1・高梁川嘉永洪水絵図」より

窮地であるから見える良いとこ、悪いとこ

滝口さんは絵図から洪水の様子を記しただけでなく、窮地に追い込まれた人の営みも見えてくると言う。東高梁川から約5キロ先、小瀬戸・有城の辺りは6月4日堤が切れていた。東へ向かって水が流れていく様子が描かれている。6月11日には修復工事に取り掛かるが、倉敷代官所は修復工事の延期を要請する。この堤を修復すれば現倉敷市内にある水の逃げ場所がなくなってしまう。6月21日、東高梁川・四十瀬村の堤が再度決壊する。西側の倉敷代官所は、小瀬戸の堤を切り払い、水を流すように言い渡す。東側に住む百姓は竹やりや割石を持って集まり抗議する。

阿波三好家の家臣だった片山家は、1702(元禄15)年に高沼(現倉敷市帯高)に移住し、早島戸川家に仕えた。2017年からNPO法人「つくぼ片山家プロジェクト」を設立し、建物の保存・活用、人と人、人と地域がつながるまちづくりを目指し、能舞台を利用したイベントなどを開催している。

 

いまできること取材班
文章:松原龍之
写真:松原龍之、NPO法人つくぼ片山家プロジェクト提供

掲載地図:「早島町発行『早島の歴史3』史料編付録絵図1・高梁川嘉永洪水絵図」より

一覧へ戻る