現地のいまを知る

寝床のとなりは、ニワトリ小屋。避難者の数だけある、避難場所のカタチ

2016.06.15

町の中心地から東へ。車で15分ほどの場所に、平田地区はある。その名の通り、田畑の平地が広がっており、農業が盛んであることが伺える地域。家屋の倒壊、田畑の地割れ、道路の隆起など、地震の爪痕は深く、激しい。

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取材を進めていると、ふいにニワトリの鳴き声が聞こえてきた。農家・福岡俊雄さんのお宅からだった。

納屋のなかでテレビを視ていた福岡さんは「地震の後から、ずっとここで寝とる」と後ろのサンシェードを指さした。一瞬、言葉を失う。寝床のとなりにあったのは、先ほどから元気に鳴いているニワトリたちの小屋。想像していなかった避難場所の姿が、そこにあった。

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16日の本震で深刻なダメージを負った福岡さんの住居。応急危険度判定(※1)で「危険」と判定された。「14日(の前震で)は持ちこたえたけん、翌日も家で寝たところが、16日(の本震)で壊れてしもた」

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そのうえ、逃げ出す際に奥様が足を骨折。未だ入院中のため、福岡さんは可能な限りの生活用品を自宅から引っ張り出し、生活環境を整えたお手製の避難場所で、震災直後から1ヵ月以上も、ひとりで暮らしているという。

とはいえ、危険は回避されたわけではない。「ここを見てみなっせ」福岡さんが指さした納屋の柱は、基礎部分と10センチ以上もズレてしまっている。納屋の倒壊、衛生面、日中の暑さ、雨…、不安要素を挙げたら、きりがない。

それでも、「避難所には行かん!」と福岡さんは話す。「車の免許がなかけん、避難所へ行ったら家に戻られんようになる」からだ。幸いにも、数メートル先に娘さん家族の家があり、お風呂はそっちで入ることができるという。食事も娘さんや息子さんが届けてくれている。そういった環境も手伝って、愛着のある家の敷地内で暮らすことを決めたのだろう。

とはいえ、テーブルの上に山積みになっていたのは、インスタント食品だった。近くに食事を買える店などは見当たらず、被害が甚大な益城町では、まだまだ食事に関して贅沢は言えない。この状況が続けば…、健康面の心配を払拭することはできなかった。

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近年は、所有していた畑の大部分を貸し出し、家族が食べる分の野菜をご夫婦で育てているそうだ。ビニールハウスのなかでは、ナスやピーマンが地震の影響を微塵も感じさせないぐらいに順調に育っている。その姿とは裏腹に、福岡さんの心は重い。「もう今年は収穫せん。気力が、なか」つぶやくように出た言葉が、深く心に突き刺さった。

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熊本県内の住宅被災は90,592棟(熊本日日新聞5/22付朝刊より)。しかし、一軒一軒の世帯の背景に、ひとつとして同じものはなく、避難先の状況も異なることを、福岡さんとの出会いで痛感した。

車の運転ができない高齢者がいる。車が被災し、使えなくなった人もいる。 道が損傷しているので、車での移動はできないという人も。その人たちにとっては、支援物資の配布先や食事が買える店まで行くこと自体が、困難だ。家が心配で見守りたいと思っても、避難所が離れていれば、気軽に行き来することは難しい。より細かな状況把握と支援計画が、急務だ。

フォトギャラリー

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本震から1ヵ月以上経つも、立ち入りできない場所はまだ多い

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危険を感じる道路も数多い

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隆起した道路。車で通ると、見た目以上に段差を感じ、ヒヤリ

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本来は住民の命を守る消火ホースやカーブミラーも、未曾有の地震によって無惨な姿に

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福岡さんのご自宅。一見すると屋根以外は大丈夫にも見えるが…

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福岡さん宅の立派な柱は、基礎から大きくズレてしまっている

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平田地区の消防小屋。「断層が見える場所」と教えてもらった

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消防小屋のなか。深く、大きな亀裂が小屋を分断していた

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福岡さんに教えてもらった、もうひとつの「断層が見える場所」。真っすぐだった排水溝が、断層のズレによってゆがんでいた。とはいえ、これは補修工事後の姿。地震直後はもっと大きくズレていたらしい

いまできること取材班
文章:高野正通
撮影:長谷和仁

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