取材班による現地レポート
栃木から東広島へ ―清掃活動がつないだ復興の絆
2019.03.11
復興を目指している被災地へ向けて、支援する形はさまざまだ。
2月19日、栃木県のラーメン店店主、和知知明さんたち男性3人が東広島市役所を訪問。髙垣広徳東広島市長に復興支援金を手渡した。遠く栃木県から、どんな縁があって東広島市を訪れたのか、話を聞いた。
一行は和知さんの他に、和知さんの店「らー麺藤原家」でアルバイトをしている高校生、入江竜聖さんと、和知さんの同級生で神奈川県在住の佐野浩和さん。
ラーメン店を営む和知さんは、東日本大震災で栃木県上三川町の店舗が一部被災。しかし、もっとひどい状況に置かれている人たちがいると知り、すぐに仲間に「支援に行こう」と声を掛けた。思いを同じくするメンバーと一緒に岩手、宮城、福島の被災地へ出向き、ラーメンの炊き出しを行ってきた。現在も、被災地の津波到達ラインに桜を植樹する活動を続けるなど、長い支援を行っている。
そんな和知さんにとって、西日本豪雨災害は、とても心が痛む出来事だったという。居ても立ってもいられず、7月末、6人で栃木県を出発。車で約13時間かけて、被害が大きい三原市へ到着した。
「本当は炊き出しで協力できたらと思ったのですが、災害直後で受け入れ体制が整っていなかった。それなら求められていることをしようと、土砂かきを手伝いました」と和知さん。
広島県内の被害は想像以上だった。しかし、遠く栃木県からは距離があり、何度も訪問するわけにはいかない。和知さんは「少しでも多くの支援をするために、他に何かできることはないか」と考えた。そこで立ち上げたのが、Tシャツを販売して利益を寄付する「ドラゴン・ドリームプロジェクト」だ。
「ドラゴン・ドリームプロジェクト」は、日本地図の上に「龍」「夢」の文字と、龍の絵をあしらったTシャツを購入してもらうというもの。希望する企業や個人には、名前入りのTシャツも作成した。昨年9月1日から12月末までに、全国で300枚以上のTシャツを売り上げた。
「龍」の文字は、アーティスト「喜跡™乃書 尚」、「夢」の文字は、清掃団体「夢拾い」代表世話人、上野和浩さん、龍の絵は、栃木県在住の筆文字アーティスト、林優克さんがそれぞれ手掛けた。
和知さんは、ラーメン店店主の他に、アーティスト「喜跡™乃書 尚」としての顔も持つ。ラーメン店開業前に経営していたそば店のお品書きを筆で書こうと、書道を習ったことがきっかけで、和知さんは店に自分の書を飾るようになった。その中の一つ、「ありがとう」というひらがなを組み合わせ「夢」と書いた書がきっかけで、遠く東広島市に住む上野和浩さんと縁ができた。
上野さんは、毎週土曜の朝5時から、東広島市西条町のJR西条駅周辺を清掃する「夢拾い」の発起人の一人であり、代表世話人。清掃活動は、有志が集い、8年以上続いている。この「夢拾い」の活動用Tシャツを制作する際、上野さんが和知さんの「夢」の書を使用したいと依頼してから、現在まで交流が続いており、今回の東広島市への寄付にもつながった。和知さんは、上野さんの「夢拾い」の活動に共感し、現在は夢拾い栃木県支部としても活動している。まさに「夢」がつないだ絆だ。
髙垣市長は「遠くから、本当にありがとうございます。集計してみると、東広島市は県内での被害額が最多でした。今から3年かけて、復興していかないといけないところです。国だけでは手が届かず、単市で復興していかなければならない部分もあるので、寄付は本当にありがたいことです」と感謝を伝えた。
経営者でもあり多忙な和知さんだが、なぜ長きに渡ってボランティア活動を続けているのだろう。
和知さんは「常に何かに関わって、何かできないかなと思っています。人と関わって、自分たちの存在を認めてもらおうなどとは思っていません。ただ、人が喜ぶ笑顔が見られたらそれでいい。喜んでもらえたら次、次。その繰り返しで今があります」と語る。
和知さんのボランティアは、自分の店の周辺で毎日行う清掃活動の他、児童養護施設への寄付、被災地への寄付、各支援活動など、多岐にわたる。
「声を掛けてもらったら、店の仕事を調整します。家族や店のスタッフも、協力してくれるからこそできること。できることを、できるタイミングで、できるときに。できる人がやっていけばいいのです。無理はしない、できないことはしない。人が集まらなくても、その時は、ただ自分がやればいい。2人いれば2人で活動すればいいと思っています」
栃木県で書かれた「夢」という一枚の書は、遠く離れた東広島市へつながった。
和知さんの「できることを、できるタイミングで、できるときに、できる人が」の言葉を胸に留め、改めて私たちに何ができるかを考えたい。
いまできること取材班
取材・文 門田聖子(ぶるぼん企画室)
写真 堀行丈治(ぶるぼん企画室)